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辺野古に行ってきました

最前線と思いきや

沖縄県による設計変更不承認を、国が代執行という強行突破で押しつぶし間を置かずに着工する、という緊迫局面にある辺野古に先週行ってきました。

辺野古のゲート前では連日午前9時、午後0時、午後3時の三回、工事トラックの搬入時間に合わせて座り込み抗議行動が行わなわれています。

実際にトラックの出入りを止める行動と聞いており、過去には逮捕者も出ていることもあり、多少緊張して那覇から現地に入りました。ところが最初に目にしたのはゲート正面で出入りのトラックを監視記録している女性がトラックの運転手に手を振っている姿でした。そして結構な数の運転手が手を振り返しています。なにかホットするような光景です。

時間になると少し離れたテントで休憩していた参加者が三々五々歩いてゲート前に移動します。ゲート前には東京の警備会社の警備員(多分沖縄の人たちだと思うのですが)が姿勢を正して一列に並んでいました。

この日は那覇で申し入れ行動もあった関係か座り込み参加者は20名弱、多少心細くなりながらゲート前に椅子とプラカードを持ち込んで座り込みを始めました。しばらくは集会の進行の後ろで警備会社が何やら「座ったらあきませんよー」という意味のことをマイクを使って放送しているのですが進行の妨げになるほどではありません。そうこうしているうちに気が付くとゲート前車道には大きなダンプカーが何台も並び始めていました。

結局ダンプカーはまっすぐの道路のはるか遠くまで並び最後尾は見えませんでした。そうこうしているうちに出動服を着た沖縄県警機動隊が座り込みの前面に出てきました。と同時に町でよく見かける交通取り締まりをする格好の警察官も数名出てきました。交通量は少ないとはいえ、なんせ片側一車線の道路のはるか向こうまでダンプカーが塞いでおり交通整理もしなければなりません。

それでも集会は続き、参加者から一言と言われ「大阪の全港湾建設支部です」と挨拶したところ参加者の多くが支部OBのM氏を知っており、歓迎の拍手をいただきました。この間も県警は「退かんと排除する」とアナウンスしてましたが集会を妨害するほどの音量は出しませんでした。集会は結局30分以上続き参加者の発言も出尽くしたかという頃、県警から「排除するぞ、でも感染症の状況を鑑みこっちも身体接触はしたくないから退いてくれんか」と通告があり、機動隊員が適度の距離から「退いてくれ」と言ってきました。大半の人は一応立って機動隊員の誘導でゲート正面から移動しましたが(私もです)気合の入った人は「わしは退かんことにしとる」と言って機動隊員に担がれて排除されました。機動隊員には集会主催者から「手荒なことはするなよ」と注意が飛んでいました。

ゲート前から排除されたので向かい側歩道に渡ろうとすると機動隊員が寄ってきて「車が来るから危ない、ちょっと待ってから渡ってください」と声掛けがあり車の途切れで「どうぞ」と誘導してくれました。写真からもわかるように機動隊員も大柄な人は少なく、威圧的な態度も示していないようでした。結局ダンプカーを30台以上足止めしたようです。

この日は座り込み参加者は少数で、女性と高齢者が過半でした。かつて全港湾のピケット行動に参加した経験から、労使紛争にもかかわらず機動隊が出てきた段階であっという間に排除される、といのが常態でした。そこからいうとゲート前のピケットは法律上の保護も期待できず物理的抵抗力も限られているにも関わらず、行動に参加したものから言えばある程度満足いく阻止行動が出来ている、という不思議な光景でした。

阻止行動の合間に辺野古の集落を訪ねてみました。屋並みの姿はやはり大阪とは大きく違うのですが、なんだかバラバラっと低い民家が広がっている小さい小さい集落、という印象でした。一方東の海側には広大な米軍基地が広がり、始終ヘリコプターの騒音が聞こえていました。

辺野古集落の様子

もちろん警察が無理な暴力行使をしないのも、工事車両が整然と集会終了を待っているのも、沖縄の声の過半がこの工事強行に反対している「力」があるからこそだと思うのですが、それでもやはり現地での悠然とした(警察官も)行動には意外の感を持ちました。同時にゲート前と辺野古集落に行くとよくわかるのですが、今でさえ米軍基地に囲まれている小さい小さい辺野古にさらに米軍飛行場を持ってこようとする非道さ、辺野古←名護←沖縄←日本国民の無関心←日米軍事同盟に押しつぶされる姿に見えました。

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