働く者が仕事をしてケガをしたり病気になった時に頼れるのは労災保険です。ところが最近労災保険制度を揺るがす裁判事例や政府の法解釈改変などが相次いでいます。
東京高裁後退判決
「意外」と受け取られることもありますが、労災支給の決定に対し、雇用主からの異議申し立てはできません。支給決定が被災労働者に対する行政の処分である、という法律上の仕組みや、法律が被災労働者の迅速な救済を目指しているからです。
仕事が原因で精神障害を発病した人に労災を認めた国に対し、雇用主がその決定を取り消すよう求める裁判が東京で起こされていました。雇用主の求めを「事業主に労災決定の取り消しを求める権利はない」と従来通り門前払いした東京地裁の判断を、昨年11月東京高裁は取り消し地裁に差し戻しました。きわめて衝撃的な判決でした。
判決後の報道では、あの加藤厚労相も「労災保険制度は被災労働者の迅速・公正な保護のために創設された。労災保険給付について事業主が争うことができるとすると制度の趣旨を損なってしまう」と述べたそうです。例えば精神障害にかかわる労災請求は22年度で2300件余り、労災と認められたのは630件ほどで約四分の一という狭き門です。こういった現状で雇用主からの労災取り消し請求が可能になれば被災労働者の救済は大きく後退してしまいます。
なぜ雇用主は労災隠しを
昔は「ケガと弁当は自分持ち」などと言って、仕事中のケガは労働者個人の責任、「不注意だ」などと済まされることも多かったが、戦後労災保険法が成立し被災労働者保護が大きく前進しました。ところが今でも「労災隠し」という言葉を聞くことがあります。治療費や、休業中の賃金補償は労災保険で支払われるのに雇用主はなぜ労災を嫌がるのでしょうか。例えば上記の例で仕事が原因の精神障害が労災となれば、雇用主は「安全配慮義務違反」に問われる可能性が高くなり、それは被災労働者から労災保険での補償のほかに損害賠償請求されることにつながります。
更にこれもあまり知られていないのですが、労災事故の発生件数で労災保険料(全額雇用主が払う)が上がってしまうのです。
厚労省、法解釈を改悪
労災保険の保険料は業種によって保険料率が違います。建設や港湾などの労災の多い業種は高い保険料率となっています。同じ業種でも事業場ごとに労災発生状況によって保険料率が調整されます。つまり労働災害の発生が少なければ労災保険料は割安になり、反対に災害発生が多ければ保険料は割高となります。この保険料率の調整を「労災保険料のメリット制」といいます。
非常に複雑な仕組みのメリット制ですが、大まかにはいえばこの制度で保険料率が三年単位で40%上下します。労災保険料=事業場の賃金総額×労災保険料率ですから労災保険料が上下8割違ってきます。
国が行うこの労災保険料率の決定に対して事業主が不服申し立てを行う際に、決定のもととなった労災支給に対して雇用主がその可否を主張することを従来厚労省は認めてきませんでした。ところが昨年末厚労省の労働政策審議会で労災支給の可否を主張する異議申し立てを認める方向転換を行いました。上記の裁判例などが影響しているようです。
労働者の権利後退に反対
厚労省によると、保険料率の決定に対して事業主が労災支給の可否を理由として争うことは認めるが、その結果にかかわらず被災労働者に対する労災支給は取り消さない、と言っています。取り消さないのは当たり前である。
しかしこの通達により事業主が労災支給の可否を公然と争うことを、制度上一部とはいえ可能にしてしまいました。
「労災隠し」が広く知られている現状は、労働者が多少のケガなら会社に申告しないケースや、労災の書類を作ってもらうときにアレやコレやの圧迫を受けた、などということは多くの被災労働者が経験することです。
申請にこぎつけても、過労死やうつなどの精神障害の発症などの労災申請は今でも極めて狭き門となっています。被災労働者にとっては労災支給にこぎつけるまで幾多の関門が待ち構えており、さらに労働能力が失われるのですからすぐさま困窮する可能性がある状態で裁判など苦闘を強いられます。一方雇用主には労災を認めたくない経済的要因は極めて強いものがあり当然訴訟を起こす財源も持ち合わせています。
このように彼我の力関係に大きな差異がある現状で、労災支給の可否を雇用主が争う権利を与える今回の改変は被災労働者保護を大きく後退させるものです。労災職業病闘争の前進でくいとめましょう。