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技能実習?育成就労?

近所にいる外国人

難波や梅田で多くの外国人観光客と出会う。

コンビニで外国人店員が販売しているのは普通の日常だ。

身近に外国人が行きかっている最近になって、政権党が外国人排斥の旗振り役に躍り出た。

高市首相は外国人政策担当大臣を新設、「秩序ある共生」をスローガンに強硬な外国人対策を行うと宣言している。しかし今のような外国人労働者を導入する制度を作ったのは歴代自民党政権ではないか。どのクチで「秩序ある」とか言うてるのか。

外国人犯罪が増え治安が悪化したとか、水源地周辺を外国人が買い占めている、とかのデマにはそれなりの対応があるだろう。

身近で働くようになった外国人労働者が国籍如何で劣悪な状況に追いやられることに我々労働組合は加担できない。そのようなことはいずれ自分の身に返ってくることだからだ。

許可されて日本に

昨年日本に「在留」する外国人(短期滞在観光客等は除く)は約396万人、そのうち雇用されて働いている人は257万人だ。

人口の約3%、雇用労働者の4%強は外国人だ。

日本社会の人手不足の雇用の場では外国人の存在感は大きい。

日本に在住する外国人は出入国管理庁(入管)から在留許可が出ている人たちだ。

在留許可は二種類あって、特定の活動(仕事)ができる資格と、特定の身分等に基づく資格がある。いわゆる「難民」もこれらの制度の枠内にある。

特定の身分とは、ブラジル等の日系人などの定住者や、特別永住者、永住者と呼ばれる人たちで、従事する仕事に制限はない。

前者の仕事に関連付けた資格には商売人や専門的な業務などにつく人の他に、技能実習(2027年から育成就労に変更)特定技能1号、2号という在留資格がある。

技能実習から育成就労へ

育成就労、特定技能は許可業種制となっており、介護、製造業、農林漁業、建設業などの労働現場だ。ビルメンテナンスも許可業種である。

昨年末で技能実習は45万人、特定技能では34万人の人たちが働いている。

技能実習が国の制度として始まったのが1993年、特定技能は2019年である。

2019年の国の方針では、2023年度には技能実習、特定技能併せて34万5千人を入れる予定だった。

既に昨年実数79万人でこれを大きく超えており、2028年度には123万人、50%増を予定している。つまり国は一貫して外国人労働者拡大方針をとってきたのだ。

始まりは人手不足、求人難

技能実習制度が始まったのが1993年。バブル景気末期、人手不足で多くの企業が悲鳴をあげていた。

このころ太平ビル東京支店では、新聞求人の応募は外国人がほとんど、大阪支店では求人経費で利益が全部吹っ飛んだ。

このようなときに技能実習制度は産業技術の途上国移転のための研修を名目に「国際協力」として始まった。

自民党政権(とりわけ安倍首相)は「移民政策はとらない、定住外国人は不要」と国内向けに主張した。

技能実習生は日本に稼ぎに来ているのではなく研修に来ている、転籍していては仕事を覚えられない、という理屈で転籍禁止(勤め先を変える)とした。

実際は深刻な人手不足に悩む企業の要望を受け、安価な労働力として外国人労働者を招請した本音を隠して。

外国から「人身売買」「現代の奴隷制」とまで言われる技能実習、特定技能で働く外国人が直面する諸問題は、この自民党政策の二面性の帰結である。

「人身売買制度」の始まり

制度発足当初、技能実習生は1年しか滞在が許されなかった。その後受け入れ企業の要請もあり改編が繰り返され5年まで延長したが、その間も転籍は出来なかった。

最低賃金も支払われなかったり、タコ部屋のようなところに押し込められたり、といった劣悪な労働環境は、転籍できない制度が可能にしたものだ。

ひどい環境でも転籍が出来ない制度が、パスポートを取り上げたりするような使用者に絶対有利な関係を作った。

労働者が劣悪な環境から逃れるすべは「失踪」して「転籍」するしかない。

逃げ出した労働者は2024年までの5年間に47000人、この人たちは在留資格違反(転籍した)の不法滞在者、オーバーステイとなってしまう。

在留期間中に家族帯同は許されておらず、若い労働者同士が一緒になって子供が出来てもともに暮らすことはできない。

また彼らは、本国と日本双方でブローカーの手を経て来日している人が多く、はなから多額の借金で縛られ働き始める。

育成就労でも改善しない

この30年の間、在留期間の延長など弥縫的な手直しは行われたが、研修という偽りと転籍制度は維持され、そのため受け入れ態勢や労働条件の整備も進まなかった。

今般政府は「外国人育成就労法」を制定し従来の方針を転換、日本の技術を本国に持ち帰ってもらうための研修、という建前を投げ捨てた。

育成就労制度の目的を「人材育成、人材確保」とし、労働力確保のためということを認めた。

しかし従来3年間不可だった「転籍」は、新制度でも残された。

政府は条件次第で1年から2年で転籍可能になり改善されたという。しかし詳細にみれば、育成就労する90%以上には2年の転籍制限がかかっており、実質3年を2年としたものだ。

期間内に転籍が認められるのは虐待や人権侵害状態が明らかになった時等厳しい制限がかけられている。

また転籍先は同一職種内に限る、首都圏など大都市へ転籍させない制限をかけるなど、転籍不可で起こる使用者との力関係の隔絶解消にはほど遠い。

在留年限の制限なく、家族帯同も許可され、日本定住の可能性も開ける「特定技能2号」が育成就労で入ってくる外国人の目標だ。

しかし2号にたどり着くのに育成就労3年と特定技能1号5年の時間が必要だ。最初の2年は転籍禁止、合計8年は家族帯同も出来ない。

労働法規は入管法に優先する

転籍不可という制度自体、日本の労働法を逸脱している。

労働契約法では有期契約の最長は3年だが「やむを得ない理由」があれば(誰でも普通に辞めてるけど)契約期間内でも退職→転籍の自由がある。無期契約の正社員はそのような留保なく退職できる。

労働基準法では有期契約でも1年を超えれば理由を問わず申し出さえしたらいつでも退職できる。

こういった労働契約解約の自由を日本の労働者に認めているのは、戦前広く見られた人身売買を伴う強制労働等の人権侵害を防ぐためだ。

日本人には無く、外国人にだけ適用される転籍制限は、つまるところ「すぐやめられたら採用経費が回収できない」「都会に逃げられたら困る」などの使用者の都合を反映したものだ。

そもそも多少の制度改善に方向を変えたのは、近い将来の深刻な人手不足を控えて、前記の「人身売買」批判などもあり、アジア各国からの労働力争奪戦で韓国、台湾などに遅れを取り始めているからである。

日本国憲法は職業選択の自由、居住、移転の自由を定めている。また奴隷的拘束および苦役からの自由も同様だ。

日本国内で労働する人々が、外国人だからという理由でこれらの基本的人権さえ確保されない状態は労働組合でなくても看過できない。

一部手直しをしたとはいえ、いまだ研修のための制限というお題目を唱え、その実使用者の採算性を優先するための転籍制限は廃止しなければならない。

このことと外国人がどのように働き、日本国内で暮らしていくかという制度設計とは、また別の次元の問題だ。

馬鹿げた外国人排斥を煽るのではなく、人権後進国との国際的評価を覆すよう政府自民党に求めなければならない。

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働いて、働いて、働いてまいります(by高市)

「働きたい改革」の真の狙いは、時間外労働の上限規制緩和だ

高市首相は自民党総裁選挙に臨み、「働いて、働いて、働いてまいります」と宣言した。しかし、首相が身を粉にして働くという「頑張り」や「過労」の話ではない。その後に続いた**「働きたい改革」**という言葉を見逃してはならない。

高市首相は就任早々「日本成長戦略会議」を新設し、安倍政権が推し進めた「働き方改革」の見直しに着手した。その目玉が「働きたい改革」である。具体的には、現在の時間外労働の上限規制(月間100時間、年間720時間)の緩和や、裁量労働制の拡大だ。規制を緩和して「もっと働きたい」と訴えるが、一体誰が「もっと働きたい」と言っているのだろうか。戦略会議で規制緩和を主張しているのは経団連と日本商工会議所である。彼らの本音は「もっと働きたい」ではなく「もっと働かせたい」に違いない。過労死労働者の遺族は高市首相に「長時間労働を美徳に戻さないで」と抗議したが、これは決して杞憂ではないのである。

安倍首相の遺産「働き方改革」を崩す「働きたい改革」

これまで長時間労働是正の試みは遅々として進まなかったが、安倍晋三首相が推し進めた2018年の「働き方改革関連法」により、初めて労働基準法に罰則付きの上限が設けられた。これは労働時間法制の画期的な進展であり、保守派の代表とも言われた安倍氏が実現させた功績である。高市首相は「もっと働きたい人がいる」という論理でこの規制をなし崩しにし、安倍氏の功績を無きものにしようとしている。

「働き方改革」が抱える危うい到達点

日本の労働時間は労働基準法で規定されている。第32条には「1日8時間、1週40時間」を超えて労働させてはならないと明記されているが、労働基準監督署長に届け出れば延長できる「36協定(サブロクキョーテー)」という例外措置が存在する。

通常は「月45時間、年360時間」が目安だが、特別条項を設ければ「年720時間」まで延長可能となる。さらに、一時的な需要に対応するため、「月100時間未満」「2〜6ヶ月平均80時間以内」という基準が設定されている。

この基準こそが、いわゆる「過労死ライン」そのものである。 監督署が過重労働による脳血管・心疾患を労災と認定する目安がこの数値である。月100時間を超えるような労働をすれば睡眠時間が削られ、疲労が回復せず、疾患のリスクが急激に高まるとの医学的見地から算出されたものだ。

さらに自動車運転手については年間960時間という例外的な上限が設けられており、これは毎月80時間の時間外労働を前提としている。過労死基準を大きく逸脱しているにもかかわらず、運送業界はこの上限さえ緩和するよう強く要望している。

罰則付きの上限規制を設けたはずの「働き方改革」も、残念ながら「過労死してしまう」時間数を上限としているのが実態である。高市首相の「働きたい改革」は、この危うい上限さえもさらに緩和しようとするものである。

一方、首相の検討加速指示を受け、上野厚生労働大臣は「上限が過労死認定ラインであることを踏まえて検討する必要がある」と述べた。この発言には、従来の「働き方改革」と今回の見直しとの矛盾が垣間見える。

100年前のILO条約すら批准できない日本の現状

日本の時間外労働規制は、国際水準と比してどうだろうか。 1886年のメーデー暴動(シカゴ)などを経て、ILO(国際労働機関)は1919年に第1号条約で「1日8時間、週48時間」を定めた。ところが日本はこの第1号条約すら批准できていない。日本政府の説明では、現行の労働基準法上の時間外労働規制が、条約の求める「厳格な許可要件」に達していないためとされている。 つまり、「働き方改革法」をもってしても、100年以上前の国際基準に達していないのだ。高市首相は、ここからさらに逆行し、規制を取っ払って無制限の長時間労働を可能にしようとしている。

変遷する労働時間規制の歴史と「過労死」の出現

日本の労働時間の最低基準が初めて定まったのは、1947年の労働基準法である。しかし、時間外労働規制は事実上野放しに近く、経済大国化と共に「エコノミックアニマル」と批判されるほどの長時間労働が常態化した。

その後、1986年の「前川リポート」などを経て、1987年に週40時間制が法制化され、1994年に実施された。現在の現役世代のほとんどは週休二日制以外を知らない。 しかし、労働時間規制が進む一方で、この頃から「過労死」という言葉が社会に現れた。

この背景には、時間外労働が事実上青天井だったことに加え、週40時間制の実施と引き換えに、変形労働時間制や裁量労働制など「柔軟化」という名の規制緩和が進められたことがある。労働時間短縮に逆行する法改正が同時に進んだことも、過労死を象徴とする長時間労働につながった。

後戻りを許してはならない。労働組合の奮起を

この間、使用者に労働時間の適正把握義務や健康確保措置(医師面接など)が課され、長時間労働を規制する取り組みが進められた。これらは、「少子高齢化に対応し、経済成長と労働者の生活の質の向上を両立させる」という「働き方改革」方針の下に進められたものだ。

1990年代以降の新自由主義政策は、膨大な非正規労働者を生み出し、正規労働者には長時間労働など過重な負担を強いた。一方非正規労働者の低位な労働条件は労働力再生産さえ危うくし、少子化の一因となったといわれている。これは資本・企業の利益のみを追求した結果であり、社会の行き詰まりは明らかであり、軌道修正が必要な段階にある。

しかし今や国会の絶対多数を握った自民・維新政権は、「働き方改革関連法」でわずかに前進した上限規制を後戻りさせようとしている。政府は今春予定していた労基法改正案の国会上程を見送り、さらなる労働時間規制の「全面的な改悪」を目論んでいる。 同会議には連合会長も出席しているそうだが、労働組合の運動は大きく立ち遅れている。これは労働分野における一種のバックラッシュであり、日本社会をさらに壊す試みだ。総力を挙げて阻止すべき課題である。