
(2019年金毘羅さん参拝の野崎さん)
最近ここ何年間か泊さんや野崎さんと話ができるようになって、家に帰って「今日は泊さん、こんなこと言ってた、野崎さんはこんなんやで」とかいうような話を嫁はんにするわけです。まあ、わからんのよね、その人は何をしている人なのか、っていう。
ははは
「若い時から釜ヶ崎で労働運動やってんねんで」「就職したことないの?一回も会社従業員とかになったことないの?」かと、「いやなったことない、いや、まあ日雇いで行ったりしてるで」と言うような話なんだけど、「それで結婚してて、奥さんは何も言わへんの?」と言う。「そこは知らんけどな」そういう話を毎回してるわ。
でもそれは半分の真理だよな、嫁さんのお陰でっていうのは。泊さんもそうだし僕も嫁さんおらんかったら絶対できない。理解がないとな、全部良しとせんでも、まあしゃあない、と。
「出ていきなさい」とは言われなかった。
出て行けとはいわれない、か。泊さんも野崎さんも、奥さんを盛大にたたえる会をせなあかんちゃいますか。西成分会は。
いや、それは距離を置いてるんじゃない。
そんなこと言ったら怒る?
ていうか関わりたくないんじゃない、これ以上は。
なるほど。
うん、好きなことはしといてもいいけど、うんうん、それ以上は関わりたくない。
言うてくるな、と。
て言うか、まあそういうこともあるよな。うん。まあ。だからそういう意味で逃げ切ったっていう感じだな。社会的、模範的規範から外れて、もう。結論的にはどうかっていうところまで。
でもよかったなあと思うよ、わし。いろんなことを経験して。
後はやっぱりお迎えとどう立ち向かうっていうぐらいの話だから。
そういう時になんか悔いることあるかな、と。
あー。仮にこれでそのいい会社に勤めたり。いい役所のポストで出世したりして、本当に幸せなことがあったかなと思ったら、それはないんじゃないかな、と。
みんな人生に悩みをもって、一番、だから20歳の時に社会、レールから外れて。色んなことあったけど、まあ、それはそれでよかったなと思うけどな。
いやあ、もっとうまく立ち向かえばもっといいものもあったのかもしれないけど。
